肯特之眼

<美意識の変化>

世界情勢は目まぐるしく変わっており、コロナ禍を経たインフレ、円安、過去最高の株価。日々の生活では、ふとしたコンビニでの買い物の際に、思わず目を見張る価格。都市部や各地の観光地では、今まで見たことのない数の外国人観光客をよく目にする。

こんなにも変化が激しい環境を「実感」するのは、40年(1983年生まれの私の年齢)生きてきた中でも初めての経験かもしれない。特に、戦後の高度経済成長を体験してこなかった身としては、当時の人達は、(違う意味での)環境変化の実感をともなっていたのかなとよく想像する。

当然、美意識も変化する。よく絵で目にする「平安時代の美女」は、現代の感覚の「美」と照らし合わせると少し違ったものなのかもしれない(個人の主観も強いが)。

美術館に行って絵画を見るときに毎回思うのは、この絵は1億年後(があるとしたら)、海外のキャンバス自体が、物質である以上消滅してるのではないかと。そう思うと、ふと刹那的なのかと思ってしまう。

そんな時に対照的に思うのが、ジュエリー。自然鉱物であるから、耐用年数は海外のキャンバスより圧倒的に長い(だろう)。紀元前6000年以上前から、今でもまばゆく残っている宝石の数々は、相対的な永続性やロマンを感じる。

美意識の変化は著しいのに、なぜジュエリーや貴金属は人達を魅了し続けるのかと良く感じる。


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